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本日もアクセスありがとうございます◎
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りき
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男性
誕生日:
1986/06/08
職業:
旅人
趣味:
音楽・映画・カメラ
自己紹介:
英語教師を目指し5年間迷うことなく大学4回生になって「世界一周」の言葉を耳にしました。
このチャンスを逃したら‥
自分のインスピレーションに従い
8ヶ月の準備を経て09年4月出発します!
支えてくれるすべての人に、感謝の気持ちを込めて
人のためになる旅を目指します!!
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トルコ・カッパドキアのバスステーションに到着したのは1日の夜9時
早朝4時半にシリア・アレッポを離れ、バスで走ること実に16時間


トルコへ来て感じたこと


高い!!

 

とにかく、もうこれまでと桁外れの価格

これまでアジアでバスといったら長距離でも6ドルほど
インド列車なんて500キロ走っても、たった7ドル

それに対しトルコのバスは30リラ(約2700円)
ランチセット食べるのにも14リラ(約1350円)


インドでケチらずに、焼肉食べ放題(750円)を食べておけばよかったと
真っ先に脳裏によぎった‥


トルコの物価はまあそんな感じ

でも


「いよいよヨーロッパか」と感じさせてくれる

 

この日トルコに入り、3回も乗り換えた


最初に、ボーダーからのバスを降り「ここからミニバスでギョレメ村まで行ける」と言われたのに、ここにはバスステーションがなかった。


仕方なく現地の人に言われるがままに、タクシーに乗り込み3キロ離れたバスステーションに向かった。たった3キロで15リラ(1350円)。もう日本並み価格で凹む‥


着いたバスステーションでバス会社に訪ねると、
「直通はない。乗り換えて、そこからミニバスで行きなさい」

「またか‥。」
このとき気づいたのは、「どの人も正確な行き方を知らないのか」

今回、「地球の歩き方」も何の情報もなくやってきた自分に責任があるのだから文句は言えない。

 

仕方なく更に10リラ払い、バスに乗り込み1時間。到着し、この時夜の9時。
バスステーションはまだまだ賑わっていた。
イスタンブール行きの乗客でいっぱいだった。早速、バス会社に尋ね、返ってきた応えは

「ミニバスはない。今日は終わりだ」

「ふざけるな」
さすがに我慢の限界だった。

 

他の人に尋ねてもone minuteと言って、
どこか言ったけど、アジアを始め、よく誰もが使うが、1分で返ってきた試しがない

結局、彼は戻って来すらしなかった

 

時間は9時半になろうとしていた
誰かが愛の手を差し伸べてくれるわけでもない

 

「ここから歩いてギョレメまでどのくらいかかる?」

 

「歩いてか!?16キロはあるぞ」

 

よし行こう。ここに居ても何も始まらない。
18キロのザックを抱え、右手には8キロのギター。


こんなので16キロも歩ける自信なんて元からなかった。
最悪は野宿。とりあえずあの場所には、もう居たくなかったから。

 

ところが、歩き始めて7分ほどのことだった

 

一台のワゴン車が、僕を通り越し、15メートル先に止まる


右ウインカーを出し、待ってくれているよう

 

すると男性が出てきて

「アナタ、ニホンジン?」

 

「そうだ。バスがないって言われてギョレメまで歩いてるんだ」

 

「カワイソウネ!!ワタシ達、ギョレメに戻るヨ。乗りなサイ」

 

奇跡だった

 

まさかこんな早くにも拾ってもらえるなんて。

 

今日1日の事情を話すと

「彼ら、くるくるパーネ!!ドウカシテルヨ!!バスはマダあるヨ!」

 

もうよく分からなかったし、どうでもよくなっていた。

この日、一番の優しさを感じれたんだもの。もうどうでもよかった‥。

 

 

彼は

「ウタダヒカル。「オートマティック」ね!」とか言って僕を笑わせてくれ

 

もう一人のドライバーはグミを分けてくれた

 

口にほうばったグミが、体全身に染み渡るように優しい甘さで

最高の味のごく普通のグミだった。

 

 

この日、宿泊したのは、彼の働くホテル

 

ここまで良くして頂いたのだから、ある程度の覚悟はしていた。

高ければ明日は安宿探そう。

 

ところが、彼は15リラで、シングルルームを僕に提供してくれた。

 

本来、ドミトリーでも15リラはするのに。しかもシャワー・トイレ付きのふかふかのベッド。朝食付き。

 

ホテルのオーナーが

「ここは本当は50リラするんだ。あいつから君にスペシャルプライスでって」

 

この出逢いがなかったら、トルコのい印象が悪く始まってただろう。

 

彼のお陰で、気持ちが前向きになれたから、翌日からも素敵な出逢いがたくさんできた

 

 

車内で

「あのとき、どうして拾ってくれたの?」って尋ねると

 

「荷物イッパイ背負ってる。遅いのに、カワイソウデショ!!」
片言の日本語で話してくれた

 

バス会社からすれば、僕なんか毎日何千と訪れるツーリストの1人に過ぎない
僕が乗らなくても、打撃どころか、かすり傷すらおわないだろう


でも僕にとって頼れるのは、あんただけだから

自分が仕事に就いたとき、同じ過ちを起こさないように言い聞かせた

 

 

僕を暗闇の中、見つけてくれた小さなワゴン

小さな出逢いに感謝

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12日にイタリアからオランダの飛行機に乗るため
やや急ぎ足でシリアを抜け、トルコへ向かう旅の途中

 

1日目

ヨルダンからシリアの国境を超え

首都ダマスカスをスキップし、バスでパルミラへ


この日の移動時間12時間

 

2日目

6b6b637a.jpeg翌朝、パルミラ遺跡を巡り

遺跡の後が数多く残り
とても魅了される場所だった





fe209ec6.jpegここで日本人のお兄さん、お姉さん方と出逢う

午後からご一緒させてもらい

一向はクラッシュ・デ・バリエへ



 

83f827e9.jpegここは、「天空の城ラピュタ」のモデルになった場所

前日にラピュタを見直して予習
幼い頃見たときと、感じ方違うのがジブリの良いとこだよね☆

ここは中世ヨーロッパに大きな影響を与えた断崖絶壁の要塞

標高650メートルに聳え立つ存在感のあるお城だった

 

e5ec3c5c.jpegここで出逢ったのが、シリア人美女のお方たち

本来イスラムの女性が
男性とお話しするのは厳禁されているのだけど‥

中東で女性とお話できると思ってなかったので良い経験だった

 

この日は、第3の都市ホムスに宿泊

 

3日目

この日はご一緒していた3人とお別れし、僕はトルコ国境付近、アレッポへ

朝起きると

机に手紙が置かれていた


「自分にとって大切なモノ再確認できた。ありがとう」

 

昨晩、同室していた年上の崇さんとたくさんお話した。


仕事のこととか
将来のこと
恋の話もちょっとだけ‥

 

素直にすごく嬉しかったな


出逢った人と言葉を交わし、何かを感じ取ってもらえた
100人とか数には表せられないけど

旅中に出逢った人に

「幸せ」与えられているのかもしれないって

 

アレッポまでは


ホテルからバスターミナルまで
イラク人のおっちゃんがtaxiをご一緒させてくれたり(タダで)

アレッポに着くと
市内まで一緒だったイングランドのパッカーがバス代出してくれたり


助けられてばっか‥そしてホテルへ


 

0eff81b1.jpeg狭い!!

衛生面に問題はなかったけど
この旅、初の狭さだった

1泊250SP(約500円)





4日目

 

観光とATM探しを兼ねて、町を歩くこと

 

市場のおっちゃんがフレンドリーに話かけてきて

強引に隣に座らされた!!

 

3ce2f3ec.jpeg「食え!元気出るぜ!!」

言葉はアラビア語で全然分からないけど

Heart to Heart” 心で通じあえる

 


陽気に2人で唄うたったり、叫んだり、店盛りしていると

 

それを見た周りの人たちが、「これ食え、これ食え」と

 

りんご、きゅうり、花、桃、唐辛子、ナス、パン‥くれた

 

花とナス以外は食れた

ナスを食べるのに躊躇してたら、おっちゃんはナス生で食べてた


「さよなら」をし、ATMを探してると、




子供たち: 「へーい!写真撮ってくれ」

d545c5f0.jpgおれ:
「オッケー。1枚だけだぞ」

カシャッ‥‥。




子供たち:「金くれ!!」

おれ:「何でやねん(怒)やらん!!ノーや!!」


これもアジアではいつものことだけど
中東で言われるとは‥すると


勝手に鞄を開けてきやがる
何とか追い払っていると


タクシードライバー:

「危険だから乗れ。向こうまで送ってやるよ」

 

もちろんこれもタダで。他にお客乗せていたのに、お客さんも笑顔で迎えてくれた

 

こんな感じのシリア4日間


短期間であれ濃~い内容の4日間だった

旅は人との出逢いで大きく左右される
お金なくっても、人の温かさ感じながら暮らせたら本当に毎日が充実

 

今回出逢ったすべての人に感謝

「シュクラム(ありがとう)」

 

エルサレムから離れた10キロ離れた場所にある町

ここはパレスチナ自治区とされる町、ベツヘレム

 

町の中心部から、あるくこと30分

 

4aab28a2.jpeg
正面に見えてきたのは

このおおーきな壁

これ何だと思う?

 

これは、イスラエルとパレスチナと2つに分ける分離壁

現代版、「ベルリンの壁」とも言われている

2d6494ad.jpeg壁はずーっと先まで続いていて
何十キロにも及んで

パレスチナ地区を囲うように

今も進行して造り続けられているそう‥



ここには多くのアラブ系の人たちが住む

壁ができたことでイスラムの人たちは様々な点で制限があり

・壁の向こうに行くには、パスポートが必要だったり
・仕事の減少
・土地が奪われ生活に苦しむ人も少なくない


つまり1つの国の中で2つに引き裂き
イスラエルの権力によって差別が行われている


これは壁に描かれた世界各国からのメッセージ

45e791f0.jpegここには、アーティストから素人まで集まり

「分離壁反対!!」

っていう彼らのメッセージがたくさん描かれている
(中には落書き程度のものもありちょっと残念)

55c40451.jpegee03f3b7.jpeg







この壁は本来、定められていた位置よりもパレスチナ側に造られた
そこに土地を所有していた人は、土地を一方的に奪わた

その地主は
壁の向こうに見える自分の土地の農作物や花を咲かせていた木々が

「見る見る枯れていくのを目にしなくてはいけないのが辛い」

というお話も聞いた‥

この国で感じたのは2つ

強すぎる宗教心がこの国を分けていること


国同士で起きている扮装の「怖さ」などでなく
国内で起きている宗教による差別の「怖さ」だった

エルサレムの町を歩いていても、ユダヤ人の僕らを見る目は違った
空気のような存在にしか思われてなく

アジア「うっとうしい」ほどの客引き
中東の「ウェルカム」なホスピタリティ

そんな人の温かさが感じられなかったのが寂しかった
※ユダヤ教の人すべてがそんなんではないので誤解しないでください

宗教がこんなにも力があり
宗教がこんなにも人を分けていることにものすごい衝撃だった


もう1つは、僕は全くの無関心‥だった

ろくに学校で歴史を学ぼうともしなかったし
勿論、興味もなかったから

テレビから流れるニュースばかり鵜呑みにしていた

「あ~、ここは危ない国なんや。おっかねぇ‥」

そんなレベル‥

でもここに来て、頭がずっとフル回転で知識が雨のように毎日降ってきた

「知りたい。知りたい。もっと知りたい」

すごく興味深かった反面
すごく複雑な思いでいっぱいだったけど


どちらが悪いかなんて分からないし
たった5日いただけで、この国のこと語れやしない


でも、一歩踏み出せたことが今回
自分にとっての大きな成長だった気がする

「無知な自分が恥ずかしい」と思っていたけど

「無関心」から「無知に」に変われたこと

今はそれが素晴らしく思う

今回,旅の予定を変更し訪れた国

 

イスラエル


この国、「危ない・危険」って感じた方

 


僕と一緒です

 

テレビなど報道では決して良いニュースなど流れてこないし
何かと話題になるのは

 

紛争

テロ

死亡


そんな言葉ばっかりしか僕自身の頭にはなかった

 

でも

 
まったく危険な国じゃないし

銃声なんて聞こえないし

爆弾なんて飛んでこない
※今回訪れたのはエルサレム。紛争地域やガイドに載ってないとこ、ジャーナリストが踏み込むような地域には行かないでね

 
1.3つの宗教

 
ではイスラエルってどんな国?

 
今回訪れたのは首都と呼ばれるエルサレム

053b02f7.jpeg町は新市街、旧市街と別れていて
新市街はこの通り発展していて

日本に劣らず、快適で過ごしやすく綺麗な町


 



この国には大きく3つの宗教が存在する

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教

 旧市街には、それぞれ定められた地区があり、住人はそこで住んでいる



なぜ、宗教によって地区が分かられているのか?

というのも、この国では宗教関係で大きな問題があるから

 

 ①ユダヤ教徒

d821d6a3.jpegこの写真はユダヤ人

 正統派のユダヤの男性は
大きなハットを被り、黒の正装をまとっている

ある年齢まで、もみあげあたりの髪を伸ばし、巻いているのが特徴的

 
この地、イスラエルは、彼らにとって大切な場所

長~い歴史の中で、かつてこの地から離散しなくてはならなかったが
多くの迫害を受けながらも、再び掴み取った大切な場所なのだ

0cf28740.jpegこの写真は、ユダヤ教の彼らがお祈りをしている姿

壁に向かって、聖書を読み、祈り、時に涙を流す人もいる

 かつて彼らの神殿が建っており、現代壁だけが残っている

彼らにとって大切な場所。これを「嘆きの壁」と呼ぶ

 

②キリスト教徒

4072d53b.jpeg一方、キリスト教にとっても大切な土地

イエスが産まれ、ここエルサレムでイエスが死刑に処された場所でもある

この写真は、イエスが最後倒れた場所
そこに、キリスト信者が頭をつき、5分ほど黙祷している姿

 

286c075a.jpegまさにキリスト発祥の地

そして毎週金曜日には、イエスが十字架を背負い歩いた道(ゴルゴダの道)を

キリスト信者たちの行進が行われる

 

イスラム教徒

最後にイスラム教

186e439a.jpgここは、イスラム教、三第モスクのうちの1つ

岩のドーム

※モスクとは、イスラム教の礼拝堂のこと




27f74d68.jpg本来この土地、イスラエルはアラブ人(イスラム教)のものだった
しかし20世紀以後、世界大戦勃発により

世界各国に散らばっていたユダヤ人が
このパレスチナに流れ込んだことで彼らの土地が奪われ

アラブ人は徐々にイスラエル軍によって隅にやられていった

 



以降、これに反対するアラブ各国(ヨルダン、シリア、エジプト)とイスラエルの間で

1次~4次中東戦争が起こる

 
宗教によって住む場所が制限さえている
学校だって違うし、頑固とした教えがある

土地の奪い合いがあり、今日も誰かが苦しい生活を余儀なくされている

 

現代、この国の中で、この宗教の違いによって起きておる問題が


パレスチナ問題


次回は、このパレスチナ問題についてまとめてみます
 

ヨルダンに滞在4日間

かなり短期間ではあったけど、多くの出逢い、感動があったので簡単にご紹介

1日目 エジプト→アンマンへ

町の中心に到着したのは、夜の8時ごろ
この日は何もせず終了

2日目 町の観光

73111b19.jpeg
ヨルダンの首都アンマン

ヨルダンの町は、坂が多く、傾斜面に砂色の建物が多く建てられている

写真はヨルダンの国旗

世界最大?と称される大きな国旗
横60m縦30メートル、高さ126メートルあり町中から見える



c4694ccd.jpeg人なつっこい街の子供たち

写真撮ってとせがむ子もいれば
向こうから話かけてくれる子どもたちも

小さな子でも笑顔でも「ウェルカム」と言ってくれたのが嬉しい

 

c643e540.jpeg初めて見たローマ劇場
ローマ皇帝アントニウス・ピウスの冶世(138年~161年)に建設
(収納人数6千人)
今もしっかりと原型が残り、現地の人の憩いの場所となっている


僕にとってヨーロッパに序々に近づいているのを感じさせる建造物だった




 3日目 ぺトラ遺跡

ヨルダンのハイライトとも言うべき遺跡!!
とにかく、その存在感に圧倒


朝9時にアンマンから南へバスで3時間

ぺトラには13時入場

さぁぺトラから見るサンセット目標にトレッキング開始!!

3b3b11d4.jpeg砂漠を抜けて両サイドに見えてきたのが

シーク(Siq)と呼ばれる狭い裂け目

高さ100mにもなる崖で、これが1キロほど続いた

感想:このスケールと自然の創るアートに感動。


 



このシークを30分ほど歩き、シークを抜け見えてきたのが

4af4c6e2.jpegぺトラ遺跡のメインであるエル・ハズネ

紀元前1世紀~後2世紀に
43メートルにもなる崖を彫刻で造られたというので驚き
(組み立てじゃありません!!)

感想:これもデカイ!!写真納まらん!古代の繊細な技術・芸術に圧倒された


 
 28107a32.jpeg

このぺトラ巡りは、ホテルで出逢った
きよこさんと一緒に観光!






道に迷いながら

でこぼこ道をたくさん歩き

足も限界に痛い

水もお湯になって喉もカラカラ

サンセットのビューポイントを目指し、歩くこと3時間


2556ff4b.jpeg
そんなときに誘惑してくるのが、売店です(どの国も一緒だね)

高いよ~↓↓

でも疲れ果てた体に、飲むコーラはもう最高 「ウマイ!!」の一言


 

そして、夕方6時ビューポイントに無事到着
 

b0bd7730.jpeg目の前には底が見えないほどの崖があるだけ

風に吹かれ、自然を感じボケーっと夕日が沈むのを待つ

たったこれだけのことなのに

贅沢に感じるのは何でだったんだろう



9f11ab62.jpeg途中、現地の人と記念撮影。

白いのは馬‥じゃなくロバ


 



待つこと1時間半、午後7時半
 

f1137c8d.jpegはるか向こうに青、黄、赤の空の層ができて

太陽が赤く染まって

ゆっくりゆっくりと

遠く山の向こうに沈んでった


無事サンセットを見ることができ、この日のぺトラ観光終了

 

帰り

急ぎ足で下り、ゲートを出たのは、夜9時半
本来、入場は日没までで、ゲートで見つかった僕らは


 

ひどく怒られ、挙句の果てには罰金‥


 


なんてことにはならず、注意され、一時マズい緊張が走ったけど

 

c2fd5329.jpeg「お前らジャパーニーズか。ジャパーニーズにはたくさん友達がいるし今回は多めに見てやるよ。ティーでも飲んで、心落ち着けてから帰りなさい」

 なんて親切にしてもらって、居たせり尽くせりだった

このティーの味、忘れない!甘~くて、おいしかった


 
そんな感じでヨルダンはこれでおしまい


翌日は筋肉痛のためホテルでお休み


只今、イスラエルにいます

「危険!!戦争!テロ!」しか知らなかった僕だけど
この国の文化、歴史を学んでいます


また次回


 

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